2010年8月12日木曜日

苫前町

以前から、萌天のシーニックメンバーから聞いていたが一度も行ったことがなく、今回立ち寄ってみました。









 
【苫前町でおきた惨劇(三毛別の熊事件)】
1915(大正4)年12月9日から12日にかけて、1頭の熊が9人を殺傷する事件がおきた。
苫前町字三毛別(現在は三渓別)には1910年ごろから新耕地へ15戸が入植していた。
12月9日午前、冬眠に入らなかった熊が突然この集落を襲い、太田宅に遊びに来ていた9歳の少年と太田の妻マユを殺し、59歳の同居人に重傷を負わせた。
熊はマユを付近の林に引きずっていったのを村人は見てて、翌日喰い荒らされたマユの遺体を取り返して太朗宅で通夜をしていた。
その最中、再び熊が現れ、このときは熊の侵入を知った村人たちの騒ぎで姿を消した。
10日の午後、当時は開墾などで男共は不在で、斎藤タケが二人の子どもを連れて同じく不在の子ども五人がいる明景ヤヨ宅へ避難していた。
そこにまた熊が侵入、臨月のタケと3人の子どもを殺し、ヤヨと1歳の赤ん坊に重症を負わせた。
これで被害者は死者6人、重傷者3人の大惨劇となった。

羽幌警察署は討伐隊を編成し、旭川の第七師団にも出動を要請する騒ぎとなった。
14日朝、身長2.7メートル、体重340キログラムの雄の熊を仕留めたのは鬼鹿村の当時65歳の猟師山本兵吉であったそうです。
この事件は、吉村昭の小説『熊嵐』で、多くの人びとに知られるところとなった。苫前郷土資料館には、被害者の手紙や吉村昭の小説の原稿などが展示されています。

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