自然豊かな利尻島を自転車で楽しんでいただきたいと思い
・利尻富士町
・東京跡見学園女子大学の篠原ゼミの学生の皆さん
・宗谷バス
・宗谷シーニック
の4者でコラボレーションさせていただきサイクリング観光と
路線バスに自転車を積込み、島内を周るなどの社会実験を
行いました。
2016年9月22日木曜日
2016年9月13日火曜日
2016年9月7日水曜日
2016年9月1日木曜日
元観光協会事務局長に捧ぐ
8月28日 元観光協会事務局長 重元 政雄さんがご逝去されました。
宗谷丘陵の白い道。
みなさん「重さん」と呼び、観光協会の激動の時代に十数年
勤務された言わば稚内観光の功労者の一人だと、私は思います。
勤務された言わば稚内観光の功労者の一人だと、私は思います。
私と重さんとは10年ほど一緒に観光協会で仕事をさせてもらいました。
自動車の営業マン(?)だった重さんは、人懐っこくてコツコツと
仕事をこなすタイプでした。
当時、私は観光協会青年部員として主にイベント部隊として行動して
おりましたが、青年部の三役くらいから事務局との関わりが増えていき
必然的に重さんとも観光について、発案や議論をよくしていました。
私が観光協会の常務になってからは、さらに喧嘩も含めて一緒に
汗をかいてきました。
重さんの良さは、フットワークの良さと人懐っこさ。
「こんちわ、大将今シーズンはどうだぁ〜」
「母さん、困っていることはないか〜」と言って会員さんのところに
足を運び困り事の相談にのったり、時にはそれを解決するために
事業化したりと、とにかく会員を大事にしていました。
時には思い余って暴走したり、喧嘩してきたりで怒られていましたが(笑)
これも仕事熱心が故のことでした。
最大の功労は、何と言っても宗谷丘陵を始めフットパスを、この地に
根付かせたのは重さんですし、花カレンダーや花ガイドを稚内に
定着させたのも故 重元事務局長の功労です。
しかし、当時の行政や協会役員、私たちも含めてですが
「あんなところ誰が歩くの?」と失笑したものでした。
「あんなところ誰が歩くの?」と失笑したものでした。
しかし、シーニック認定を受けようとして様々な方との
出会いの中で、イギリス発祥の「フットパス」が日本に
上陸し、それをいち早くキャッチしていたのが
重さんと利尻町役場の小杉係長(当時)でした。
出会いの中で、イギリス発祥の「フットパス」が日本に
上陸し、それをいち早くキャッチしていたのが
重さんと利尻町役場の小杉係長(当時)でした。
小杉さんの紹介で北海道フットパス協会の小川 巌さんに会い
フットパスの魅力と可能性を、当時の岩間会長、中場さんたち
とともに発見し徐々に推進をする事にしました。
最初は「無理〜」と大勢の声のなかで、JTBさんが商品化してくれ
人気がある事が分かってからは宗谷丘陵のフットパスが徐々に
認知度を上げ見直しされていきました。
重さんは、それだけではなく合わせて歩く楽しみ方として、
稚内公園を中心にこうほねの家、メグマ沼、宗谷丘陵と朝早く
または夕方や休みなどを使って調べて写真に収めていました。
これも、男性は特に興味がなく「花の写真なんか」と批判的な
意見があり重さんは仕事時間外でもコツコツと散策収集しました。
結果、これが宗谷の素晴らしい大自然の中をのんびり自分の
ペースで歩きながら景色を楽しむ「フットパス」を、より一層の
バリエーションアップさせたのが、重さんの「花ごよみ」でした。
宗谷丘陵の白い道。
宗谷丘陵の白い道は宗谷畜産公社の元場長だった氏本さん、
観光協会の事務局長だった重さんたちによって、地道に積み
重ねと育ててきたことで、新しい観光資源となり、それに皆さんの
力が加わり今のスタイルになったのだと感じています。
今頃は、「重さん、もう来たの!」って、あの世で岩間さんと
会っているのかな?
重さん、ゆっくりお休みください。
稚内印刷株式会社 代表取締役
宗谷シーニックバイウェイ事務局長 杉 川 毅
宗谷シーニックバイウェイ事務局長 杉 川 毅
早起きは
早起きは三文の得
今朝は、徒歩出勤。
友人の娘さん、先日亡くなられた息子さん、JC時代の先輩。
徒歩通勤で、こんなに知り合いに会うのは初めてですが
これは三文の得と言えるのか・・・
友人の娘さんとはコンビニの前で会いました。
「ずいぶん早いね〜」と言ったら、昨夜は11時帰宅で、今朝は6時30分の出勤とのこと。「体を壊すなよ」と言ったら「今、忙しいから仕方ない」と大人になりましたね〜
さらに娘さんは「お父さんと会っている?」というから「一昨日飲んだよ」と言ったら
「そう、よかった」と笑顔。
心の優しい良い子だね、私には(笑)
先日亡くなった方の息子さんとは、朝の散歩中なのか道でバッタリ。
「先日は、大変でしたね〜」と切り出すと、急だったのでと入院から亡くなるまでの
経過を改めて聞きました。故人は、稚内観光に大きな足跡を残されており
今の稚内観光の礎を築いたと言っても過言ではありません。
今の稚内観光の礎を築いたと言っても過言ではありません。
宗谷丘陵のフットパス、稚内周辺の植物リストアップなどは、故人が周囲から揶揄されても
コツコツと頑張ってきたから、今があるわけですが、それを知る人も少なくなったかな?
JCの先輩は先輩の自宅前。
会社からは近いのに、ほとんど会うことがありません。
たまに、車ですれ違うくらいです。
なんとなく世間話をしてお互い健康の話をして「では、また」という感じでした。
1人一文として、三人だから三文?=今の価値で80〜90円だそうです。
有り難や〜
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