2016年9月1日木曜日

元観光協会事務局長に捧ぐ

8月28日 元観光協会事務局長 重元 政雄さんがご逝去されました。

みなさん「重さん」と呼び、観光協会の激動の時代に十数年
勤務された言わば稚内観光の功労者の一人だと、私は思います。

私と重さんとは10年ほど一緒に観光協会で仕事をさせてもらいました。
自動車の営業マン(?)だった重さんは、人懐っこくてコツコツと
仕事をこなすタイプでした。

当時、私は観光協会青年部員として主にイベント部隊として行動して
おりましたが、青年部の三役くらいから事務局との関わりが増えていき
必然的に重さんとも観光について、発案や議論をよくしていました。
私が観光協会の常務になってからは、さらに喧嘩も含めて一緒に
汗をかいてきました。

重さんの良さは、フットワークの良さと人懐っこさ。
「こんちわ、大将今シーズンはどうだぁ〜」
「母さん、困っていることはないか〜」と言って会員さんのところに
足を運び困り事の相談にのったり、時にはそれを解決するために
事業化したりと、とにかく会員を大事にしていました。

時には思い余って暴走したり、喧嘩してきたりで怒られていましたが(笑)
これも仕事熱心が故のことでした。

最大の功労は、何と言っても宗谷丘陵を始めフットパスを、この地に
根付かせたのは重さんですし、花カレンダーや花ガイドを稚内に
定着させたのも故 重元事務局長の功労です。















当時、観光が下火になってきた時に旅行会社からは、いつも
「何か珍しい、何か新しい事はないか?」と矢のような催促が
あった時代に「宗谷丘陵を歩かせたい」と発案したのが重さんでした。
しかし、当時の行政や協会役員、私たちも含めてですが
「あんなところ誰が歩くの?」と失笑したものでした。

しかし、シーニック認定を受けようとして様々な方との
出会いの中で、イギリス発祥の「フットパス」が日本に
上陸し、それをいち早くキャッチしていたのが
重さんと利尻町役場の小杉係長(当時)でした。

小杉さんの紹介で北海道フットパス協会の小川 巌さんに会い
フットパスの魅力と可能性を、当時の岩間会長、中場さんたち
とともに発見し徐々に推進をする事にしました。

最初は「無理〜」と大勢の声のなかで、JTBさんが商品化してくれ
人気がある事が分かってからは宗谷丘陵のフットパスが徐々に
認知度を上げ見直しされていきました。

重さんは、それだけではなく合わせて歩く楽しみ方として、
稚内公園を中心にこうほねの家、メグマ沼、宗谷丘陵と朝早く
または夕方や休みなどを使って調べて写真に収めていました。

これも、男性は特に興味がなく「花の写真なんか」と批判的な
意見があり重さんは仕事時間外でもコツコツと散策収集しました。


結果、これが宗谷の素晴らしい大自然の中をのんびり自分の
ペースで歩きながら景色を楽しむ「フットパス」を、より一層の
バリエーションアップさせたのが、重さんの「花ごよみ」でした。




















宗谷丘陵の白い道。

宗谷丘陵の白い道は宗谷畜産公社の元場長だった氏本さん、
観光協会の事務局長だった重さんたちによって、地道に積み
重ねと育ててきたことで、新しい観光資源となり、それに皆さんの
力が加わり今のスタイルになったのだと感じています。

今頃は、「重さん、もう来たの!」って、あの世で岩間さんと
会っているのかな?

重さん、ゆっくりお休みください。



      稚内印刷株式会社 代表取締役
      宗谷シーニックバイウェイ事務局長  杉 川  毅

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